学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

「平成」が終わる…昭和の時代と今の環境から子どもの教育を考える。第三回「新聞」

さて、このシリーズも3回目です。どの程度、こどもの教育に関係するものがあるかわかりませんが、今日は新聞をとりあげてみたいと思います。

 

「新聞」をとらない選択

うちでも、一度話題になりましたが、新聞をとる必要があるかどうか、考えたりしませんか?

ネット・スマホが普及しましたよね。

新聞をとらなくても、新聞と同様の情報がある程度入ってくることになります。いえ、スポーツにせよ、犯罪にせよ、スキャンダルにせよ、むしろ、ネットの方が情報量が多く、いろいろな新聞社の情報が入ってくることになりました。それどころか、そのニュースを読んだ人の感想なども含めて、個人レベルの意見まで読めるのですから、新聞をとる必要がなくなります。

新聞にしかない情報、というのも確かにありますが、そういう情報がほしい人はデジタル版を契約すればいいわけです。そもそも新聞をとっていた時だって「読んでる?」という疑問はあるわけで、それが新聞とるとらない問題の核ですよね?

そもそも隅から隅まで読んでいるとは限らない。主要なものはネットである。隅から隅まで読むならデジタル版の方が便利。

新聞というのは、場所に制約されますから、状況で言えば、朝、新聞を広げるような絵柄が浮かびます。電車に持っていく、というのも確かに昔はありましたが、現代は手のひらにおさまるスマホがあるのに、わざわざ新聞を車内で広げる、というのはあまりいいものではない‥というのもわかります。

めっきり電車の中で新聞を開く人も減りました。電車の中は、駅でしか買えないゴシップ紙(?ごめんなさい)に近いものぐらいでしょうか。それもずいぶん減ったと思いません?

じゃあ、家で新聞を読むとして、朝と帰ってきたあと。イクメンの風潮も結構重要で、昔みたいにお父さんが起きたら、新聞と食事が用意されている時代でもないですよね。「読みたかったら自分でとってきて」奥さんからすれば当たり前です。マンションだったら、取りに行くのも面倒。食事だってお父さんが作ることも風潮としては当然。(実際はどうか知りませんけど)

で、奥さんだって働いている。朝の忙しい時間や帰ってきて家事をやっている間に新聞を読むか…。やっぱり通勤時間がまずその時間にしたい。

要するに、新聞をとらない選択はかなり現実的で、効率的な気がします。

 

「新聞」がなくなったら、何が変わる?

というわけで、新聞がなくなって何が困るのか、ということです。

まず、情報は入手できる。必要だったら、デジタル版を契約すればいいので、新聞がなくなっているわけではない。

次に、子どもの状況を考えてみます。

小学生ぐらいの子どもであるとするなら、そもそもそんなに新聞を読んでいないはずです。自分の経験だと、4コマ漫画とスポーツ面。これだけ。あとは一面の見出しぐらいでしょう。当然、その他の見出しも目に入ったかもしれませんが、こんなところでした。

だから、小学生の子どもにスマホを与えていないとしても、まったく問題がない。そもそも読んでいないのだから。

教育的に新聞を読むということを、意識させたくなるのは、中学生から高校生ぐらいにかけてで、このあたりになってくれば、スマホを持たせはじめますから、だんだん大人に近づいているわけですね。中学受験を考えている小学生家庭では、新聞にこだわるなら子ども新聞をとることを検討しますから、大人の新聞はなくてもいいわけです。

というわけで、影響はあまりない、と考えたくなります。

 

子供は親の真似をする。

実際はそうはいかない、というのが今日の話です。

ここまでの話は全く問題ありません。新聞を読む、というそのものについては、ここまで説明した通りです。

でも、問題は、2歳ぐらいから、子どもは親の様子を見ている、親の動作をまねる、ということです。

家に新聞があり、親が広げていれば、子どもも広げて「読む」動作を覚え、場合によっては真似はじめます。仮に読んでいなかったとしても。

読む動作がなくなること自体は大きな問題ではないかもしれません。代わりがあるからです。たとえば、絵本とか、雑誌とかですね。

でも、問題は、新聞を読む行為の代わりの動作です。

それは、スマホやタブレット、です。

大人はスマホで記事を読んでいるかもしれない。でも、子どもにはそれは、「スマホやタブレットをながめて指を動かす動作」にしか見えていない、ということです。

だから、子どもはスマホやタブレットをいじります。

残念なことに、それはゲームであったり、動画であったりするのです。

新聞は読むことしかできないから、それをまねるしかないのですが、スマホにはそれ以外の機能がありますから。

子どもは、スマホで記事は読みません。中学生ぐらいになったとしても、彼らは、「ゲーム」「SNSでの友人との会話」「動画」「アプリ」です。ほかにやることがいっぱいあるのです。

もしかしたら、きちんと教えておかないと、新聞のない家庭では、「新聞」というもの、つまり「ニュース」やそれを伝える「報道」の仕事というのもよく理解していない小学生、というのも存在しはじめているのかもしれません。

新聞がご家庭に目に見える形でおいてあれば、それは避けられます。親が新聞を読む、という行為を、たまにであっても目にしていれば、「新聞を読む」という独特の行為がすりこまれます。

字の読めないような子が、親の真似をして、新聞を広げる。読めもしないのに、眺める。そこにジジババがやってきて「新聞読んでるなんてえらいねえ」なんてほめる。こうして、字を目にして、読む真似をはじめる‥

こういうことが、

スマホやタブレットをいじり、ゲームや動画をはじめる‥

ということに置き換えられるわけです。

多少の無駄であっても、新聞はとってほしいなあ、と私は思うんですね。